陽と月との間で―明日をのぞむ―

私の物語と私の考えたことを私なりの言葉で紡ぎます。

第二章『近づき』 (その4)

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画像はイメージです

 私はSさんを目で探しました。しかしどこにも見当たりません。なおSさんを探そうとキョロキョロしましたが、なかなかSさんの姿を捉えることが出来ません。

 

「ゆりさん、Sさんはどこに居るんですか?」

「少し疲れたから向こうのベンチに座っているよってさっき言っていたわ」

 

 ゆりさんの明るい声が響きます。その間も彼女の手や体の感触は、私の身体の様々な箇所を這い回り刺激しています。

 私が遠くのベンチに目をやると、果たしてそこにはSさんの姿がありました。遠くから私たちの様子をじっと見つめています。距離こそ遠いのですが、異様な目の輝きははっきりとわかります。食事会の時に見られる、あの複雑な視線です。嫉妬、誇り、怒り、興奮・・・。全てが入り交じった本当に不思議な目の色です。時折、Sさんの視線は周りの男性にも注がれます。それは明らかに嘲り、見下し、優越の目の色でした。

 そんなSさんの目を見つめるうちに、私はふと自分自身の姿を重ねました。私もSさんと同じように、他の男性に対して優越感と誇りを持っている……。今、この瞬間だけとはいえ、ゆりさんが私の体と密着している。男なら誰もが喉から手が出る程に欲望する女性を、我が物としている……。これはまったく新しい感情でした。

 それまで、私はどちらかと言えば奥手でした。部屋でこっそりと自身の欲望を処理するとき、その対象はあくまで雑誌やビデオなど、媒体に現れる記号としての女性であり、固有の〝誰か〟ではありませんでした。

 以前、昼休みにクラスの〃イケている男子たち〃誰を『おかず』に、つまり自慰の対象とするかで盛り上がる場面に居合わせたことがあります。私はその輪に加わることなく(正確に表現すると〃加われず〃ですが)、少し離れたところから耳だけをそばだてて聞いていました。彼らがセックスシンボルとして有名な某女優やアイドルと共に、クラス内の女子の名前を挙げたとき、私はとても驚きました。日々の生活の中で現実に接する機会のある女性を〝おかず〟にする。それは私の中では罪悪感を覚える、後ろめたいものだったからです。

 ましてや、女性に対して〝支配・制御〟の感情を持つこと、あるいは〝所有・占有〟の感覚を持つことなど、想像さえできません。しかし今、私はゆりさんを支配している。所有している。そして〝私の〟ゆりさんを、周りの男たちは羨望と嫉妬の眼差しで見ている。彼らは指を加えて魅入るしかない。その状況が私の体の隅々まで満ちたとき、恍惚とした快楽にも似た感情の昂ぶりを覚えました。

 

 ゆりさんは再び私の正面に戻り、いきなり腰を屈めました。ウエストを測るためです。ゆりさんの柔らかな額とそよぐ前髪を上から見下ろした瞬間、私は決心しました。

 

〝Sさんもゆりさんも……わざとなんだ。ならば僕だってもそれに乗っかってやろう〟

 

 そのときの私は二人に対する憧れや親愛の情とは異なる心の澱を持て余していました。弄ぶ大人への反発心。そしてそれ以上に、この状況そのものへの興奮が急に高まったのかも知れません。

 私はゆりさんの肩にそっと触れました。その瞬間、ゆりさんの体の動きがピタと止まります。私は全神経を指先に集中し、微かな動きからゆりさんの感情を読みとろうとしました。しかし私の指先から流れ込んでくるのは、戸惑いと緊張のみで、嫌悪や拒否の波はありません。私は指を少しずつ増やし、やがて肩に手の全体を置く形となりました。私は細い肩の感触を確かめるように、指先に少しだけ力を入れてみました。

 ゆりさんの肌は想像通り、いや想像以上に滑らかでした。柔らかく、それでいてしっかりと反発します。若いだけが取り柄の女性の、堅いつぼみとはまったく異質の、吸い付いて離れない官能的な感触です。ゆりさんの肌が少しずつ汗ばみ、湿り気を帯びてくるのがわかります。そして私の触れた辺りから肌そのものが徐々に上桜色に染まるのを、私は見逃しませんでした。私はさらに自身の腕をゆりさんの首筋に移動させようと画策します。

 

「採寸は終わったかい? ゆりはしつこいから横溝君も閉口しているだろう?」

 

 ふいに私の背後から声がしました。その声には様々な感情が渦巻きながらも、それを必死に抑えるがゆえの微かな震えが感じられます。振り返ると、そこにSさんが立っていました。ゆりさんはゆっくりと立ち上がりました。

「ええ、ちょうど今終わったわ。横溝君は意外と着やせするタイプなのね。ひょろひょろしているように見えて、実はけっこう筋肉質かも。」

 

瞳は濡れたように輝き、声も艶めいています。

 

「ありがとうございます。こんなオーダーメイドの服なんて初めてなんで、ゆりさんにサイズをいろいろと測ってもらいました」

 

 私もまた、筋書きを全て知っているにも関わらず、何もしらないふりをしている演者のごとく、何事もなかったかのように振る舞います。

 ……私の買い物は無事に終わり、三人は婦人服売り場へと移動を始めました。先ほどとは異なり、Sさんとゆりさんとが並び立ち、私はその後を少し遅れて付いてゆきます。しかし……このフロアに来る前とはまったく異なる景色が、私の前には広がっていました。 

 何かが違う……何かが変わった……。私はそう感じていました。それは上手に言葉にすることが難しい、小さな、かすかな差異でした。それでも敢えて表現するならば……

 

〝タテからヨコへの変化〟でしょうか。それとも

〝主従を超えた強い絆〟でしょうか。

 

 今まで抱いていた、一方的な関係ではない、もっと深くもっと濃密な二人の間の愛のあり方を、目の前の二人の背中が私に語りかけてきます。

 私の興奮と混乱とをよそに、物語は更なる艶を帯びながら新しいフロアへと三人をいざなってゆきます……。