陽と月との間で―明日をのぞむ―

私の物語と私の考えたことを私なりの言葉で紡ぎます。

 ―ワンペダルという発想― 被害者、加害者を生まない科学へ

 

またもや痛ましい事故が起こってしまいました。

headlines.yahoo.co.jp

 

人生の後半をこのような事故によって狂わせてしまう。

自分自身の人生だけではなく、多くの人々の人生を一瞬にして変えてしまう。

被害者の方々、そのご家族の方々の心情はもちろんですが、

図らずも加害者となってしまった方、そしてそのご家族もまた、

辛く苦しい日々となってしまうことを思うと、なんともやりきれません。

 

少し話が変わるのですが・・・・

 

事故を起こした多くの人が異口同音に答える

「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」

というフレーズ。

 

よくよく考えると、このフレーズにこそ多くの問題が潜んでいると

思います。私は機械工学や人間工学にはまったく疎い人間ですが、

ここから先は素人の発想としてお聴き下さい。

 

車の操作は主に次の二つのペダル操作によって制御されます。

 

アクセル=(前後に)車を動かすために「踏む」ペダル

ブレーキ=車を止めるために「踏む」ペダル

 

つまり

車を動かすための身体所作と

車を止めるための身体所作とが

「踏む」という同一の行動によって行われるということなんです。

 

これって、よくよく考えたらおかしくないですか?

車に対するまったく反対の指令を

「踏む」という同じ動作で行う。

差異はほんの数センチを隔てた「左右」のペダルの位置関係のみ。

 運転に慣れた、そして身体を思い通りに動かせる人ならばOKでしょう。

 しかし、初心者、そして身体のコントロールが昔ほど上手ではなくなってしまった方々にとって、ほんのわずかな左右の位置関係のみという「差異」はとてもハードルが高いと思ってしまいます。

 私だって、いつかは歳を取ります。今のようなスムーズな運転や、とっさの判断が難しくなるかもしれません。そのときに、この僅かな差異を今までどおり操ることが出来るでしょうか?とても不安になってしまいます。

 

 科学も技術も人のためにあるもの。ならば、この微妙な差異を克服する新しい操作法を編み出すことは決して不可能ではないと思います。

 

・・・・と、ここまで考えたときに思い出したのが日産の自動車。

なんでも「ワンペダル」というシステムが採用されているそうなんです。

 

実は私の知り合いの70代の方が最近自動車を日産に買い換えましたが、

その車が「ワンペダル」でした。彼曰く

 

「これ、なかなかいいよ~。最初は戸惑ったけど、今は全然こっちがいいね。だって、危ないって思ったとき、足を離しちゃえばいいんだから」

 

なるほど!

 

アクセル=(前後に)車を動かすためにペダルを「踏む」

ブレーキ=車を止めるためにペダルを「離す」

 

これならば

車を動かすための身体所作と、車を止めるための身体所作とが

「踏む」「離す」という異なる行為によって明確に分離されます。

 

 もちろん慣れも必要でしょう。けれども一旦慣れてしまえば

「踏み間違える」ことは激減するのではないでしょうか?

なぜなら車を止めるための動作は、

もはや「踏む」ことではないのですから。

 

 私は一度も日産の車に乗ったことがありませんし、

もちろん日産からお金ももらってませんが(笑)。

しかし、よい技術については試してみたいと思っています。

また、これ以外にもまったく異なる発想で「踏み間違い」

を克服する技術があると聞いています。

 

 科学や技術が、人に寄り添うためにどんどん使われてほしいと思います。

人の知恵が、被害者はもちろんのこと、加害者も生まないために役立つことを

心から願っています。

 

「ワンペダル」の車、今度試乗してきます!

 

追記 はじめに紹介した福岡の事故については、運転手の方が運転中に意識を失っていた可能性があると、先程報道していました。この場合は、私のワンペダルの話もまったく見当違いのものとなってしまいます。どうすれば、このような事故がなくなるのか、素人ではありますがこれからも考えていきたいと思います。