陽と月との間で―明日をのぞむ―

私の物語と私の考えたことを私なりの言葉で紡ぎます。

Yahoo!ブログが終わりました

こんにちは。そしてお久しぶりのかたには「お元気でしたか?」

 

12月15日をもって「Yahoo!ブログ」が終了しましたね。

自らの半生を振り返った日々。

喜びを綴った日々。

苦悩を吐露した日々。

どれもが大切な時間でした。

 

たくさんの仲間とも出会えました。

勇気をくれた人。

寄り添ってくれた人。

受け入れてくれた人。

 

あのとき、Yahoo!ブログが唯一の逃げ場所だった私にとって

今回の閉鎖は心が痛むものでした。

けれど、いつかは終わりが来る。

だからこそまた始めようと思う。

 

今は仕事が忙しく、ブログを更新出来ずにいますが

再び自身を綴ろうと思っています。

 

昔の仲間が時々遊びに来てくれることを楽しみにしています。

また、新しい仲間にでも出会いたいと思います。

 

今までありがとう!

これからもよろしく!

 

のぞむはここにいます。

苦しい

本当に辛くて、辛くて。

 

ここ数日、結愛ちゃんの最期の様子が裁判で明らかになってきている。

 

子どもは親を憎めない。憎めないんだよ。

 

私は大人になって、たくさん勉強して、それでも親のしたことを「怒り」「憎む」ことが出来るようになるまでは何年もかかったんだよ。

 

小さい子どもにとって、親はただ大好きな人であり、大切な人であり、愛する人なんだよ。「憎む」なんて回路、持ってないんだよ。

 

それだけに切ないね。最期の最期まで笑顔を見せようとした結愛ちゃんが、昔の自分とかぶる。

 

私はたまたま偶然生きていられたけれど、いつ結愛ちゃんと同じ側に回ってもおかしくなかった。生きていても、ずっとこの苦しみと闘っているけれど、それでも生きていることが今は素直に嬉しいし、幸せだと思う。

 

とにかく苦しい。辛い。冷や汗が出て、息が出来なくなる。でも、結愛ちゃんはもっと辛かったろうな。

 

天国があるならば、そこでたくさん美味しいものを食べて、たくさん遊んで欲しいよ。

 

新聞の校正

 最近、新聞にコラムを書きませんか?というお仕事が舞いこむようになりました。もともと書くことが好きで、自分の書いた文章が新聞様に載るなんて素敵だ!と単純に思っていましたし、以前は兼職兼業が厳しくされていましたが、ここ数年だいぶ緩和されてきたという職場の事情もあって、食い気味に「書きます!書かせて下さい!」とお願いし、現在連載しています。

 新聞に書いたときに最も新鮮だったのは「自分の文体にも癖がある」という、考えてみれば至極当たり前の事実でした。自分で言うのも何ですが、書くことは好き、であるだけではなく、得意!という自覚さえ持っており、人に直された経験がほとんどなかったので、それなりの自信は持っていました。

 ところが、いざ新聞に原稿を送ると〃バッサバッサ〃と音が聞こえるぐらい、大胆にカットされる文章に愕然としました。「俺の書いた文章に手を入れやがって!」と怒る気力もなくなるぐらい、それはそれは気持ちの良い校正です。

 そしてそれがまた一つひとつ適切な校正なんです。特に私がしがちな「トートロジー(無意味な反復)」をことごとく指摘し直してくる。文章の終わりごろには、爽やかな気分にさえなりました。

 徒然草に「先達はあらまほしきことなり」という文言がありますが、自分の至らなさ、未熟さ、そしてその未熟さに気づかない愚かさに改めて鉄槌を下された気分です。

しかし、それ以降自分の文章を他者の目で眺めるよう、意識だけはすることが可能となりました。とても大きな成長だと個人的には思っています。

 今週締切の記事をようやく書き上げました。これからまた「校正のムチ」を甘んじて(半ば心地よく)受けようと思います。

ワンペダルという発想(続報)

昨日「ワンペダルという発想」という記事を書きました。

 

nozomu-yokomizo.hatenablog.com

 

すると早速こんな記事がネットに上がっていました。

headlines.yahoo.co.jp

 

素晴らしい!科学や技術がこうして幸せになる人を増やすのは素敵だと思います。

このような取り組みがもっともっと増えるといいですね!

 ―ワンペダルという発想― 被害者、加害者を生まない科学へ

 

またもや痛ましい事故が起こってしまいました。

headlines.yahoo.co.jp

 

人生の後半をこのような事故によって狂わせてしまう。

自分自身の人生だけではなく、多くの人々の人生を一瞬にして変えてしまう。

被害者の方々、そのご家族の方々の心情はもちろんですが、

図らずも加害者となってしまった方、そしてそのご家族もまた、

辛く苦しい日々となってしまうことを思うと、なんともやりきれません。

 

少し話が変わるのですが・・・・

 

事故を起こした多くの人が異口同音に答える

「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」

というフレーズ。

 

よくよく考えると、このフレーズにこそ多くの問題が潜んでいると

思います。私は機械工学や人間工学にはまったく疎い人間ですが、

ここから先は素人の発想としてお聴き下さい。

 

車の操作は主に次の二つのペダル操作によって制御されます。

 

アクセル=(前後に)車を動かすために「踏む」ペダル

ブレーキ=車を止めるために「踏む」ペダル

 

つまり

車を動かすための身体所作と

車を止めるための身体所作とが

「踏む」という同一の行動によって行われるということなんです。

 

これって、よくよく考えたらおかしくないですか?

車に対するまったく反対の指令を

「踏む」という同じ動作で行う。

差異はほんの数センチを隔てた「左右」のペダルの位置関係のみ。

 運転に慣れた、そして身体を思い通りに動かせる人ならばOKでしょう。

 しかし、初心者、そして身体のコントロールが昔ほど上手ではなくなってしまった方々にとって、ほんのわずかな左右の位置関係のみという「差異」はとてもハードルが高いと思ってしまいます。

 私だって、いつかは歳を取ります。今のようなスムーズな運転や、とっさの判断が難しくなるかもしれません。そのときに、この僅かな差異を今までどおり操ることが出来るでしょうか?とても不安になってしまいます。

 

 科学も技術も人のためにあるもの。ならば、この微妙な差異を克服する新しい操作法を編み出すことは決して不可能ではないと思います。

 

・・・・と、ここまで考えたときに思い出したのが日産の自動車。

なんでも「ワンペダル」というシステムが採用されているそうなんです。

 

実は私の知り合いの70代の方が最近自動車を日産に買い換えましたが、

その車が「ワンペダル」でした。彼曰く

 

「これ、なかなかいいよ~。最初は戸惑ったけど、今は全然こっちがいいね。だって、危ないって思ったとき、足を離しちゃえばいいんだから」

 

なるほど!

 

アクセル=(前後に)車を動かすためにペダルを「踏む」

ブレーキ=車を止めるためにペダルを「離す」

 

これならば

車を動かすための身体所作と、車を止めるための身体所作とが

「踏む」「離す」という異なる行為によって明確に分離されます。

 

 もちろん慣れも必要でしょう。けれども一旦慣れてしまえば

「踏み間違える」ことは激減するのではないでしょうか?

なぜなら車を止めるための動作は、

もはや「踏む」ことではないのですから。

 

 私は一度も日産の車に乗ったことがありませんし、

もちろん日産からお金ももらってませんが(笑)。

しかし、よい技術については試してみたいと思っています。

また、これ以外にもまったく異なる発想で「踏み間違い」

を克服する技術があると聞いています。

 

 科学や技術が、人に寄り添うためにどんどん使われてほしいと思います。

人の知恵が、被害者はもちろんのこと、加害者も生まないために役立つことを

心から願っています。

 

「ワンペダル」の車、今度試乗してきます!

 

追記 はじめに紹介した福岡の事故については、運転手の方が運転中に意識を失っていた可能性があると、先程報道していました。この場合は、私のワンペダルの話もまったく見当違いのものとなってしまいます。どうすれば、このような事故がなくなるのか、素人ではありますがこれからも考えていきたいと思います。

 

 

      

二つの「決断」 ―人であり続けるために―

f:id:nozomu-yokomizo:20190603131907j:plain

母が亡くなった。

 

介護して2年。

ほぼ寝たきりの状態だった。

認知症介護のような精神的疲労はなかった。

介護としては恵まれていた環境と期間だったと思う。

 

ただ

心は揺れていた。

ずっと

ずっと葛藤していた。

 

なぜなら……

 

 

 

私は虐待されていたから。

生きるのが辛くなる虐待を

実の母から受けていたから。

 

虐待死の話題がニュースで流れるこの頃。

話題が出る度に、喉の奥から鉛のような不快感がこみ上げる。

視野が狭まる

震える。

息が出来なくなる。

 

あれから40年以上が経った。

しかし今でも、私を震えさせるあの記憶。

 

私は逃げた。

生き延びた。

かろうじて助かった。

 

しかし、どこかで何かが間違えば……。

私も「虐待死」として報道されただろう。

 

 

サバイバーとして生きる日々。

心に闇を抱え、世間の無邪気な「家族愛幻想」に傷つき続けた。

けれど……それでも自身もその愛を求め歩いた。

 

今、私には家族がいる。

さまざまな問題を抱え、辛いときもある。

しかしそれでも家族と呼べる者がいる。

 

血は繋がっていないが、大切な娘もいる。

娘が幼い頃は自らに流れる虐待の血を恐れた。

幸いなことに、私の負の遺伝子が暴れることはなかったが。

 

私の人生に重く暗い影を残す母。

 

その母が倒れた。介護が必要になった。

もはや動ける身ではないと言う。

 

「のぞむちゃん。ずっと親不孝してたんだから介護ぐらいはしっかりしなさい」

電話口の向こうで、遠い親戚が諭すように話す。

 

親不孝?私が?

産みさえすれば誰でも『母親』か!?

喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

「もう、今は動けないのよ」

その言葉を聞いたとき初めて震えが少し止まった。

 

病室の母は変わっていた。変わり果てていた。

竹刀や革のベルトやフライパンで、私を気絶するまで殴った母。

あの取り憑かれた笑みは、顔の皺のどこを探してもない。

真っ赤に塗った爪の先で、私の皮膚をつまんで引きちぎる母。

髪を振り乱したときの甘ったるい香水の香りはどこに漂っていない。

 

そこにあるのは

細くとがった骨を僅かばかりの皮。

そこに漂っていたのは

籠もり、淀んだ異臭。

哀れなただの老婆の肢体。

 

私はベッドに近寄れなかった。

突然起き上がると私の手首を掴み、ひねりあげる。

そのまま床にたたきつけられてしまう。

そんな幻影が浮かんでくる。

 

「何度も念を押されたから、あなたの居場所は教えなかったけど……

あれで良かったのかねえ。」

遠い親戚の女性がのんびりと話す。

「とにかく、親なんだからきちんと面倒見ないと!ね!」

 

女性が部屋から出ていく。

私は遠くからじっと母を見つめた。

もはや意識があるのかないのかもわからない。

口を開け、微かに胸が上下する。

それだけがかろうじて生を主張している。

 

恐怖と怒り。

逃避と憎悪。

憐れみと征服感。

悲しみと侮蔑。

 

制御できない感情があふれ出し、思わず壁を叩きつけた。

一度も母に近寄る事なく、逃げるように家に帰った。

 

迷った。

迷った。

「迷い」の日々が続いた。

 

苦しくなったある日

娘に心の内を話した。

 (妻は重い病で話が出来ない。娘には過去を怖がらない程度に話していた。)

 

娘がぽつりとつぶやいた。

「怖いなら逃げればいいよ。

辛いならやめればいいよ。

嫌いなら憎めばいいよ。」

 

そうだ。

そうだよな。

 

今はいつでも逃げられる。

今は簡単にやめられる。

今なら存分に憎むことが出来る。

 

そう考えたら楽になった。

 

愛しているから。

好きだから。

育ててくれたから。

だから看取るのではない。

 

私は人としてありたいだけだ。

母のような酷い鬼ではない自分でありたいだけだ。

 

家族を持つことができた幸せな一人の人間として

子どもを愛し、慈しむことの出来る人として

母の最期を看取るべきだ。

 

だから「決断」した。

母を介護する。

 

最期まで赦さなかった。

最期まで赦せなかった。

 

だから……最期まで看た。

体を清め、食事を与え、言葉を掛けた。

母が私にしなかったことの全てを、

私はぜんぶ〃してやった〃。

 

鬼だった母を

私は鬼になることなく

人として送った。

 

母もまた

最期は人の顔に戻り

この世を旅立った。

 

私は自身の命が尽きるとき

この「決断」を誇りに思うだろう。

 

私がもしも死ぬときには

誰かに「ありがとう」と言ってもらいたい。

 

だから、新たに「決断」する。

今を精一杯生きよう。

私の周りの人々を力一杯愛そう。

 

鬼から生まれた私が人であり続けるために。 

 #「迷い」と「決断」

りっすん×はてなブログ特別お題キャンペーン〜りっすんブログコンテスト2019「迷い」と「決断」〜
Sponsored by イーアイデム

私は母性を認めない ―サバイバーのつぶやき―

 


f:id:nozomu-yokomizo:20190517150135j:plain


 「母性」 

 この言葉を聞く度に、私は強い違和感を覚えます。もっと正確に表現するならば「強い違和感程度に自身の感情をコントロールできるようになっています」となるでしょうか。以前はこの言葉を見たり聞いたりする度に、やるせない悲しみと、たぎるような憤りと、視界が閉ざされ手足の温かみが急速に奪われる恐怖を感じていましたから。 

 「母性」。 

直訳すると「母としての性」。ただしここでの「性」は「さが」の意で用いられており〃生まれ持って身についている性質・本能〃を指しています。ですから適切な意訳としては、「女性ならば誰でも生まれながらにして身につけている、母としての性質・本能」となるでしょうか。

 

 では「母としての性質」とは何でしょうか?それはきっと子どもへの無償の愛情、どこまでも大きく深く絶えることのない我が子に対する慈しみの感情、時や場所を選ばずに常に子どものことを第一に考える女神のような姿勢。これらを指すものと思われます。

 

しかし、本当にそうでしょうか?

 

本当に、女性ならば誰でも生まれつき我が子を愛する感情を本能として持つのでしょうか?子ども第一に考えることを無意識にできるのでしょうか?

 

どんなに反対されても私は断言します。

 

 「母性」。

  それは決して元から存在することはありません。いや、この表現では誤解する人もいるかもしれませんので訂正します。「母性」は決して「性(さが)」ではありません。すなわち、女性ならばいかなる人間でも「母性」を本能として備えている、ということはあり得ないことだと思っています。

 

母性とは一つの特質であり、「怒りっぽい」「優しい」「暗い」などと同列に扱うべき、個性の一つに過ぎません。人格や性格が環境によってより強化されたり、矯正されたりするのと同じく、「母性」もその後の環境や本人の気づきや学び、更には後に出会う人々との関係性によって大きく変化していくものです。

 

 にもかかわらず「母性」だけが、あたかも人として当然備わっている本能のように扱うところに、大きな危険性を感じます。なぜなら「母性」=本能と定義づけした瞬間に、人は「母性を習う、母性を育てる、母性を学ぶ」ことを放棄するからです。

 

 夫の虐待(暴力)を〃怖かったから〃という理由だけで止めなかった女性。大やけどをした娘をラップに巻いて遊びに出かける女性。これらニュースを聞いて、多くの人が悲しみます。そして怒り、憤ります。そして多くの人が言葉をこう続けます。

 

「母親なのにどうしてあんなひどいことが出来るのかしら」

 

母親なのに? 私はやっぱりそこで足踏みをしてしまいます。

そして時にはこんな風につぶやいたりもします。

 

「母親だからあんなにひどいことが出来るんだよ」

 

 私の以前からのお友達は既にご存じですが、私は「サバイバー」です。「生還」してきた者です。

(※ちなみに欧米では幼児虐待を受けて、それでもなお今を懸命に生きようとする者たちを、尊敬の念を込めて「サバイバー(生還者)」と呼びます)

 

 私は実の母から過酷な虐待を受け、時には自分の人生が途切れそうになりました。今ここに生きていることがちょっと不思議に思えるぐらい、苦しい時間を過ごしてきました。私にとって、母とは「殴る人、蹴る人、針で刺す人、食事にゴミを入れる人……」の総称です。(ごめんなさい。これ以上綴るとフラッシュバックが起きそうになるのでやめます)

 

 だからこそ断言します。女性が全て、生まれながらにして「母性」を持っていることは断じてありません。「母性」は育てるもの。「母性」は学ぶもの。そして母性は「性(さが)」ではなく「努力」なのです。

 

 最近、心愛ちゃんの公判内容をネットニュースで読む度に、ふと気づくと手足の痺れが始まるようになってきました。私は私自身の中のトラウマと再び向き合い、闘わなくてはならないようです。でも私は負けません。せっかくサバイバーとして「生還」してきたのですから。

 

 世のほとんどのお母さんたち(もちろんお父さんたちも)は我が子を愛し、慈しんでいると思います。

 

 そして、どうかそれを当たり前のこと・常識だよ!とは思わないでほしいと願います。それはもしかしたらあなたの親御さんが身を持って教えてくれたことかもしれません。あるいは子育ての中で自ら学んだものかもしれません。もしかしたら迷いや葛藤の中で身につけた人もいるでしょう。

 

きっと

 

子どもを愛せる人は自分を愛することを学んだ人であり、

子どもを守れる人は自分を守ることを学んだ人です。

 

 父性も母性と全く同様に学ぶものだと思います。父性もまた、迷い、気づき、考える姿勢の中から育まれるものです。私もまた、親から学べなかった「父性」を学び直しました。虐待の連鎖が続かぬよう、薄氷を踏む思いで自らの行動を冷静に見つめてきました。お陰様で、娘達は元気に育っています。

 

母性、父性で子どもを大きく包み込む人を「当たり前だ」と思わないこと。

それって実はすごく大切なことだと思っています。

 

f:id:nozomu-yokomizo:20190517150121j:plain