私は母性を認めない ―サバイバーのつぶやき―
「母性」
この言葉を聞く度に、私は強い違和感を覚えます。もっと正確に表現するならば「強い違和感程度に自身の感情をコントロールできるようになっています」となるでしょうか。以前はこの言葉を見たり聞いたりする度に、やるせない悲しみと、たぎるような憤りと、視界が閉ざされ手足の温かみが急速に奪われる恐怖を感じていましたから。
「母性」。
直訳すると「母としての性」。ただしここでの「性」は「さが」の意で用いられており〃生まれ持って身についている性質・本能〃を指しています。ですから適切な意訳としては、「女性ならば誰でも生まれながらにして身につけている、母としての性質・本能」となるでしょうか。
では「母としての性質」とは何でしょうか?それはきっと子どもへの無償の愛情、どこまでも大きく深く絶えることのない我が子に対する慈しみの感情、時や場所を選ばずに常に子どものことを第一に考える女神のような姿勢。これらを指すものと思われます。
しかし、本当にそうでしょうか?
本当に、女性ならば誰でも生まれつき我が子を愛する感情を本能として持つのでしょうか?子ども第一に考えることを無意識にできるのでしょうか?
どんなに反対されても私は断言します。
「母性」。
それは決して元から存在することはありません。いや、この表現では誤解する人もいるかもしれませんので訂正します。「母性」は決して「性(さが)」ではありません。すなわち、女性ならばいかなる人間でも「母性」を本能として備えている、ということはあり得ないことだと思っています。
母性とは一つの特質であり、「怒りっぽい」「優しい」「暗い」などと同列に扱うべき、個性の一つに過ぎません。人格や性格が環境によってより強化されたり、矯正されたりするのと同じく、「母性」もその後の環境や本人の気づきや学び、更には後に出会う人々との関係性によって大きく変化していくものです。
にもかかわらず「母性」だけが、あたかも人として当然備わっている本能のように扱うところに、大きな危険性を感じます。なぜなら「母性」=本能と定義づけした瞬間に、人は「母性を習う、母性を育てる、母性を学ぶ」ことを放棄するからです。
夫の虐待(暴力)を〃怖かったから〃という理由だけで止めなかった女性。大やけどをした娘をラップに巻いて遊びに出かける女性。これらニュースを聞いて、多くの人が悲しみます。そして怒り、憤ります。そして多くの人が言葉をこう続けます。
「母親なのにどうしてあんなひどいことが出来るのかしら」
母親なのに? 私はやっぱりそこで足踏みをしてしまいます。
そして時にはこんな風につぶやいたりもします。
「母親だからあんなにひどいことが出来るんだよ」
私の以前からのお友達は既にご存じですが、私は「サバイバー」です。「生還」してきた者です。
(※ちなみに欧米では幼児虐待を受けて、それでもなお今を懸命に生きようとする者たちを、尊敬の念を込めて「サバイバー(生還者)」と呼びます)
私は実の母から過酷な虐待を受け、時には自分の人生が途切れそうになりました。今ここに生きていることがちょっと不思議に思えるぐらい、苦しい時間を過ごしてきました。私にとって、母とは「殴る人、蹴る人、針で刺す人、食事にゴミを入れる人……」の総称です。(ごめんなさい。これ以上綴るとフラッシュバックが起きそうになるのでやめます)
だからこそ断言します。女性が全て、生まれながらにして「母性」を持っていることは断じてありません。「母性」は育てるもの。「母性」は学ぶもの。そして母性は「性(さが)」ではなく「努力」なのです。
最近、心愛ちゃんの公判内容をネットニュースで読む度に、ふと気づくと手足の痺れが始まるようになってきました。私は私自身の中のトラウマと再び向き合い、闘わなくてはならないようです。でも私は負けません。せっかくサバイバーとして「生還」してきたのですから。
世のほとんどのお母さんたち(もちろんお父さんたちも)は我が子を愛し、慈しんでいると思います。
そして、どうかそれを当たり前のこと・常識だよ!とは思わないでほしいと願います。それはもしかしたらあなたの親御さんが身を持って教えてくれたことかもしれません。あるいは子育ての中で自ら学んだものかもしれません。もしかしたら迷いや葛藤の中で身につけた人もいるでしょう。
きっと
子どもを愛せる人は自分を愛することを学んだ人であり、
子どもを守れる人は自分を守ることを学んだ人です。
父性も母性と全く同様に学ぶものだと思います。父性もまた、迷い、気づき、考える姿勢の中から育まれるものです。私もまた、親から学べなかった「父性」を学び直しました。虐待の連鎖が続かぬよう、薄氷を踏む思いで自らの行動を冷静に見つめてきました。お陰様で、娘達は元気に育っています。
母性、父性で子どもを大きく包み込む人を「当たり前だ」と思わないこと。
それって実はすごく大切なことだと思っています。