陽と月との間で―明日をのぞむ―

私の物語と私の考えたことを私なりの言葉で紡ぎます。

二つの「11日」 ー平成を変えた日―

 


今週のお題「平成を振り返る」

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 いつもは私のささやかな人生の中で起きたあれこれを綴るのですが、今回のお題だけは時代を総括するという意味で、少しだけマクロな視点でお話しします。

 私がもっとずっと後、例えば令和20年ぐらいになってから『平成の思い出は?』と聞かれて、思い出すのはきっと「11日」という日付なのだと思います。

 9月11日。あの日、テレビで見ていた光景が現実のものであると分かるのに、しばらく時間が掛かりました。まるで特撮映画のようにゆっくりと大型旅客機が高層ビルに突っ込んで黒煙が上がっていきました。そしてジェンガのように巨大なアメリカの象徴が崩れ落ち、濛々と粉塵が舞い上がる様子は今でも脳裏に焼き付いて離れません。

 あの日以来、世界の何かが変わりました。「もう二度と戻れない」。心の中で何かが壊れた気がしました。どこに戻れないのか、なぜ戻れないのか、何が壊れたのか。今でもよくわかりません。しかし、確かにあの日、世界は変わってしまったと感じました。

 「わかり合える」「話し合える」「また手をつなげる」。ベルリンの壁が壊れたときの高揚感、自分とは直接関わりがないけれど、人類の智恵が、人の持つ醜い面を乗り越えることが出来た!と嬉しくなった日が、一瞬にしてはじけ飛びました。悲しく、辛く、そして何かに怯える日が始まったあの日。9月11日でした。

 

 3月11日。私が車を走らせていると、娘達から電話が。「お父さん、津波が来るかも知れないからって学校から帰されたよ」。はじめは何を言っているのか分からず、とんちんかんなやりとりをしていましたが、娘が「お父さん、車を停めてテレビをつけてごらんよ」と言われ車内モニターを付けたそのとき

「!!!!!」

 田畑を猛烈な勢いで黒い液体が覆っていく様子飛び込んできました。小さく動いているのは車でしょうか?人でしょうか?一瞬にして次々と黒い波が飲み込んでいきます。

いつ?どこで?

 私は急いで車を飛ばすと、家に帰りました。

 私の住んでいる場所は東北から遠く離れた所です。実害はまったく有りませんでした。しかし、テレビの前で起こっている出来事が同じ日本であることを信じることができませんでした。

 祈るだけでした。ただそこに住む人々の無事を祈ることしかできませんでした。辛く歯がゆく、そして己の小ささ、人の弱さ、科学のもろさを嫌というほど感じました。

 しかし、そこから人のつながりを、勇気を、見ることになります。がれきの中から、泥流の中から、ぽっかりと青空の見える柱だけの建物から、東北の人々が建ち上がる様子を、厳かな気持ちでずっと見つめていました。人の愛と勇気と希望、人の連帯と絆と優しさを見ることになりました。3月11日。忘れられない日です。

 

 私が平成を思い返すとき、きっと「11日」がキーワードになると思います。と同時に、この二つの日が私に何かを語り続けるその声に、今でも耳を傾けなくてはいけないと心に刻んでいます。

 

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