陽と月との間で―明日をのぞむ―

私の物語と私の考えたことを私なりの言葉で紡ぎます。

第二章『近づき』 (その2)

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写真はイメージです

 Sさんとゆりさんは数日早く都内のホテルに滞在し、私の方が改めて現地でSさんたちと落ち合うことになりました。そして当日。私は期待と緊張、そしてなぜかかすかな胸の痛みを覚えながら電車に揺られています。目指すは銀座の某百貨店、受付案内所です。Sさんたちは事前に買い物があるとのことで、百貨店で落ち合うことになっていたのです。

私は電車に乗りながら、ずっとある事を考えていました。

〝もし、ゆりさんが食事会のような服装だったら……〟

 今まではSさんの自宅内、相手はSさんと私だけという状況でした。しかし、土曜日の昼下がりの銀座であの衣装になることは、恥ずかしいというよりもむしろ危険ですらあります。傍に居る私はどう対応してよいかわかりません。そしてふと想像していますのです。多数の目がゆりさんの体を射貫き、その矢に耐えきれず頬を真っ赤にしてうつむくゆりさんの姿を。そして興奮する自分と哀しくなる自分を同時に発見するのです。

〝旅行にわざわざ僕を誘うのは、必ず何らかの理由があるからだ〟

 私はSさんの意図を必死に読み解こうとしました。そうでもしなければ、私の中に穏やかならぬ感情の波がさざめいてしまうからです。

 

 みなさんはもうおわかりでしょうね。私がゆりさんに対して憧れだけではない、恋愛に近い感情を持ち始めていることを。彼女が美しく、そして淫らな服を素肌に纏うとき、興奮と共に一抹の寂しさで心がきしむことに、私は気づいてしまいました。この女性が私のものではないこと、この美しい女性の視線は、私をすり抜けてそのままSさんへ向かっていること。この事実は当然であり仕方の無いことでしたが、つらく感じてもいました。

 私はSさんを本当に尊敬していました。私が、当時の大人に対して抱いていた〝頑な/常識/体制〟のイメージを、Sさんはいつも軽やかに飛び超えていました。そして、そのようなSさんに共感し、畏敬の念すら覚えていました。しかし同時に、Sさんに嫉妬する自分を自覚しないわけにはいきませんでした。Sさんは、私がゆりさんに惹かれているのを知っている。それを承知でわざとこのような状況を設定しているのだ、と感じるときもありました。そのときのSさんに、憤りが湧いてくる自分に恐れおののいてもいました。

 

 一方でSさんに感謝する自分もいました。(ややこしいですね)私は幼いころ母親に傷つけられてきました。そして、大人、特に大人の女性には恐怖を抱いていました。また夫婦とは〝互いに不満を抱き、疑心を持ち、怒りでつながる事だ。〟そう思い込むようになっていました。ですから、たとえ常識とは異なる形であろうと、常にお互いだけを見つめ、触れ合い、そして良い意味で〝縛り合う〟Sさんとゆりさんの関係はとても新鮮でした。

 一見荒々しく見える〝命令/束縛〟。しかしその奥に見える優しさと慈しみを湛えたSさん。服従/羞恥という結果であろうと、常に夫を信頼し、従順なゆりさん。二人の関係は、それはそれは美しいものでした。歪んだ人間観や卑屈な男女観に染まった私を救いだし、愛することの歓びを実地で教えて下さったSさんは、私にとっては一言では言えない不思議な立ち位置にいることを、私はいまさらながらに感じます。

 次第に高まる鼓動を必死に抱え込むように、自分のカバンを強く抱きかかえなおしたとき、電車は煌びやかな銀座の街に滑り込んでゆきました。

 

 百貨店に着くと、すぐに一階の案内所に向かいました。当時は携帯電話はおろか、ポケベルさえない時代でしたから、待ち合わせ場所がとても重要でした。細かく位置を確認し(私の場合は、受付のおねえさんの目の前)、そこで待っていました。5分ほど経ったでしょうか、ふと目を向けると遠くからSさんが見えました。Sさんも私に気づき軽く手を振っています。その後ろにゆりさんがいました・・・・・・。 

 ゆりさんの服装は……普通でした。いえ、厳密に言えば普通では無く「派手」「大胆」ではあったと思います。黒いワンピースは、体のラインがハッキリしているタイトなスタイルでした。生地には光沢があり、背中も大胆に空いています。銀座という土地柄から考えれば、十分に目立つスタイルでした。その証拠にある男性はちらちらと、またある男性は舐めるような不躾に、彼女の肢体を観察しているのがわかります。そして女性たちの目は男性以上に厳しく、羨望と嫉妬に駆られた光を放っています。

 しかし私としては普段の食事会との比較になるので、ごく普通の美しい装いにしか見えず、心のどこかでほっとしていました。しかし改めて見ると大きく胸が空き、豊かなバストの膨らみが堪能できること、そして彼女の白くほっそりとした首には〝黒い首輪〟が巻き付いていることに気付きました。

 今、〝首輪〟と書きましたが、実際黒いレースが白い首に巻き付いているように見えたのでした。当時の私はファッションに疎く〃チョーカー〃と呼ばれるアクセサリーの存在を知らなかったので、ネックレスとは明らかに異なる長さと形状に、思わず〝首輪〟を連想してしまいました。ゆりさんの服装にはよく似合っていましたが、どこか被虐的な香りも漂っています。今から考えると〝首輪〟という連想は、あながち間違ってはいなかったのかもしれません。

「おお、いたいた。待ったかい?女性の買い物は長くて閉口するねえ。」

 Sさんは笑いながら声を近づいてきます。 私の隣に立ったゆりさんから、うっとりするほど甘い香りが漂ってきます。受付のおねえさんも美しかったのですが、ゆりさんの前では霞んでゆきます。おねえさん自身も私の心の動きを悟ったのか、どことなく険のある表情へと変わったようにも感じられました。

「だって素敵なものがいろいろあって迷ってしまうんだもの。仕方ないわよねえ、横溝君!横溝君みたいな紳士なら、文句を言わずにいろいろ見立ててくれるでしょう?」

 ゆりさんはわざと頬を膨らませて、精一杯不満の意を示しながら私に同意を求めますが、私はその可愛らしい仕草だけで鼓動が一泊跳びそうになり、敢えてSさんのほうばかりを向いていました。

「僕も今さき着いたばかりです。買い物はもう済んだんですか?」

「うーん、もう少しだね。僕の方は終わったけれど、ゆりのはまだだな。実はね、横溝君待ちだったんだよ」

「僕を……ですか?」

「そう。実は僕だけではゆりの服を選びきれなくてね。ゆりとも相談したんだけれど、今日はせっかく横溝君も来るから、若い人の目でゆりに似合う服を選んでもらおうって考えているんだ。どうかな?」

「はあ……」

 私は思わず間抜けな返事をしながら、何気なく視線をゆりさんに向けました。ゆりさんの耳は真っ赤に染まり、喉がかすかに動くのが目に留まりました。私と目が合うと慌てて逸らし、彼女の唇からかすかな吐息が聞こえたような気がしました。私はその瞬間に肌が粟立つような身震いと心臓の鼓動を感じました。そしてなぜか、今回の旅行の幕が開演のブザーと共に上がりゆく光景が浮かび上がってきたのです。