第一章『出会い』 (その4)
夕食の宴自体は至極普通でした。ゆりさんの手料理はとても美味しく、食欲旺盛な中学生の私にとっては、ごちそうレベルのものばかりでした。また、Sさんは話題が豊富な上に、話し方がとても上手で、おもわず声を上げて笑ってしまうほど和やかな雰囲気だったのです。しかし一方で私は気づいていました。この宴には別な意味、目的があることを。ただしその意味を理解するには、まだまだ幼かったと思います。
私はSさんの話に楽しそうに応じ、そしてその話題をゆりさんと共有するためにも、彼女の方にときおり顔を向けました。ゆりさんは普段と異なり口数は多くはありませんでしたが、それでも笑みを浮かべ、ときにはゆりさんから質問をしたりもしました。
今、私は〃話題をゆりさんと共有するためにも」〃と書きました。しかし、それは口実に過ぎません。ゆりさんに話を振る、あるいはゆりさんから話をしてもらう。それらの行為は全て、彼女の姿を見るための口実に過ぎません。ゆりさんに話しかけるとき、私は彼女の顔と同時に、豊かな胸に視線という名の舌を這わせます。ゆりさんが可笑しそうに笑うとき、私は彼女の脇腹を盗み見ます。そしてゆりさんが身振り手振りを交えて話すときに、私はゆりさんの編み目の服が溶けて、白い裸身がゆっくりと舞い踊るのを夢想するのです。
私は確信していました。ゆりさんは私が見つめていることを、私が心の中でゆりさんの体にゆっくりと指をなぞらせていることを、そして桜色をした二つの丘や悩ましいラインを描く脇腹に、私の想像の舌が這い回っていることを……知っている、と。
私がしばらく黙って見つめていると、ゆりさんは決まってSさんの方を見つめます。助けを求めるような、ご褒美をもらいたそうな、潤んだ瞳で。そしてSさんはその顔を愛しそうに眺めながらも、毅然とした様子で全く何事もなかったかのように楽しい話題を振るのです。 まったく奇妙な、そして淫猥な「宴」です。
Sさんは何度か飲み物やデザート、ナフキンなどを取り替えさせるため、ゆりさんにお願いしていました。いや、お願いと言うよりも命令に近いものでした。
「ゆり、別なワインが飲みたいから持ってきておくれ」
「ゆり、そういえば赤肉のメロンがあっただろう、そろそろ運んできなさい」
そのたびに、ゆりさんはピクンと反応します。その後諦めたように立ち上がり、席を離れます。ゆりさんの身体が動くたびに、私は彼女の後ろ姿をこれでもかというぐらいに見つめます。〝目で犯す〟という表現がありますが、まさしく私の視線はそれぐらい彼女の肢体に注ぎ込まれました。
彼女はワンピース一枚の他には何もつけていませんでした。腰からヒップにかけての美しい曲線。そして窮屈に持ち上がった透けるスカートは、肌と密着するたびに白さを増してゆきます。陶磁器の白い肌が遠くの暗がりからもはっきりとわかるのです。
白さと暗がり、絹の感触と絹のような肌の質感。それらが渾然一体となり、彼女の美しさを極限まで高めていした。ゆりさんがこちらに向かってくるときは、さらに私の胸は高鳴ります。そしてとても情けない話ですが、性欲が動物的な中学生はやはり女性の秘密の花園の部分にどうしても関心が向きがちでした。
薄明かりの中、ゆりさんがテーブルに近づいてきます。放心した彼女の顔を見つめていたいのですが、私の視線はどうしても豊かな胸から絞り込まれるようなウエスト、そしてその下の迷宮へと目が泳いでしまいます。 私は期待をしていました。
〃編み目の奥に薄暗がりの一部が見えるに違いない〃と。
〃ヘアーによって淡い陰となった神秘的な部分が垣間見えるはずだ〃と。
しかし、期待は裏切られました。もっと正しく表現するならば、混乱した、というほうが正しいでしょう。確かにゆりさんは下着を履いていません。しかし、そこには大人の女性ならば当然あるはずの、淡い茂みの陰が認められなかったからです。私は混乱していました。暗がりだから見えないのだと早合点し、かなりじっくりと見つめました。(今から考えると赤面ものですが)しかし、見えるものは白い肌ばかり・・・。
〃……ない!?〃
当時は性表現に対する規制が厳しく、ヘアーが写った雑誌も御法度の時代でした。女性のヌード写真も、肝心な部分は(もちろんヘアーも含めて)ぼかしや、墨塗り的な処置が施されていました。だから、当時の中学生の男子にとってのヘアーとは、まさしく「性」そのものでした。
だからこそ、その象徴としてのヘアーがないという事実は私をひどく混乱させました。当時から剃毛という行為があったのか、あるいは初めから無毛体質だったのか、今となってはわかりません。とにかく、むき出しの大腿部の眩い光沢と同種の輝きを放つ白さが、編み目の奥からほの見えるだけでした。
私はふと視線を感じました。その視線は先ほど感じた負と正、邪と清が渦を巻き、二律背反性がそのまま濁流となって流れ込むような勢いを持つものでした。私はそちらの方向を見ることが出来ません。しかし、右の頬にはっきりと感じるのです。Sさんの視線を。彼は私をじっと見つめているはずです。ゆりさんを凝視する私を凝視しているのです。そして、ゆりさんは恍惚とした表情のままずっとSさんを見つめています。
三人がそれぞれに異なる対象に興味を持ち、興奮をし、そして執着していました。三つのものが互いにかみ合って完結する図形を意味する〃三竦み(さんすくみ)〃のように、互いが別の誰かを強烈に欲していました。と、沈黙を破るようにSさんがゆりさんに命令します。
「ゆり、横溝君はお客様だよ。メロンも彼の傍できちんと切り分けてあげなさい」
ゆりさんは頬をバラ色に染め、それでも精一杯普通に振る舞いながら
「よ、横溝君。メロンはお好き? 私が食べやすいようにナイフで切り分けて上げるから待っててね」
と言いながら近づいてきました。
ああ、私は困ってしまいました。私の鼓動が、私がつばを飲み込む音が、痛いくらいに突き上げる私自身が、ゆりさんに知られてしまう。でも、ゆりさんにもっと近くに来てもらいたい。もっと間近で彼女を味わいたい。そして、何より私に近づくことで恥じらいに頬を染め、細かく震えるゆりさんを見てみたい。矛盾する感情は私の手元を狂わせました。
!!!!!
私は水の入ったグラスを落としてしまいました.不幸中の幸いで、厚い絨毯に守れたグラスは割れることを免れましたが、グラス内に残った水が私の服にかかり、残りが絨毯の上にこぼれ出てしまいました。
さすがにこの事態には全員が慌てました。
「大丈夫かな?着替えた方がいいかな?」
「い・・・いえ、全然大丈夫です。」
私は恥ずかしさと申し訳なさとでおどおどしてしまいました。
「ゆり、横溝君の服を早く拭いてあげなさい。それに絨毯もはやく水分を取った方がいいかもしれない。」
「本当にごめんなさい!こういう場に慣れていないものだから。染みになるといけないので、絨毯から拭いて下さい。僕は本当に大丈夫ですから。」
私は恐縮しながら、そして半分は自分の興奮を悟られまいとして早口でゆりさんにお願いしました。
「わかったわ。じゃあお言葉に甘えて、先に絨毯から片付けちゃうわね。」
といいながら、私に背を向けて絨毯にしゃがもうとしました。
その時です。Sさんが低い声で一言だけおっしゃいました。
「ゆり、横溝君はお客様だと何度も言っているだろう。お尻を向けるのは失礼だ。きちん前を向きなさい。」
私はその言葉の奥に潜む何かを感じました。思わずSさんを見ると、頬が少しだけこわばり、唇が乾き、のど仏が動く様子が見えます。そして、後ろ向きのままのゆりさんが、聞こえるか聞こえないぐらいの小さな喘ぎともに、「はい」と返事をする声が聞こえました。ゆりさんが、立て膝のままゆっくりとこちらに向き直ろうとします……。
……この続きを期待していた方々には大変申し訳ないのですが、とにかく創作ではない、実際に起こった出来事だけを書き連ねていきたいので、そのまま告白します。
ゆりさんが立て膝のままゆっくりと体を私に向け出したとき・・・、私は逃げてしまいました。
「す、すみません。トイレに行きたいの・・・し、失礼します。」
それだけ言い残して足早にトイレに向かってしまいました。
もし、あのまま座っていたら、どうなっていたでしょうか。ゆりさんの体の正面が間近で見られたことでしょう。そしてミニスカートの間から、ゆりさんの謎、体の中心部分に陰りが見られない謎が直接見られたかもしれません。
私はあの瞬間、いたたまれないほどの恥ずかしさと、突き上げるような快感と、そしてやるせないほどの罪悪感をほとんど同時に味わっていました。さらに、私の体の中心が抑制の利かない状態へと変化しました。とっさに、「このままではまずい」と判断したのだと思います。もちろん、今の私ならばこの場面で席を立つような行動は絶対しませんが。
トイレに駆け込み呼吸を整え、ようやく自身を鎮めた私は、おそるおそるテーブルに戻っていきました。すっかり掃除も終わり、ゆりさんはテーブルに着いていました。Sさんも何事もなかったように、ゆりさんとたわいのない話をしていました。この後、夕食はあっけなく終了しました。私はけっこうあたふたしてしまい、食後のデザートを急いで食べ終わるとすぐにお宅をおいとましました。
「片付けがあるのでここで失礼するわね。美味しかった?もし、美味しかったら、次も必ず来てね」
ゆりさんはまったく何事もなかったように話しかけて、台所に消えていきました。台所の光はとても明るい蛍光灯だったので、ゆりさんの体がよりはっきりと見えましたが、それも一瞬のことでした。
Sさんは玄関を出て、門まで見送ってくれました。
「また、来てくれるかな?僕たちはいつも二人だけで食事をしているので、つまらないんだよ。君のような青年が来てくれると、ゆりも喜んでくれるし私も嬉しい。もし横溝君が嫌じゃなければ、月に1回ぐらいのペースでもいいから、是非いらっしゃい。」
Sさんの声には自然と人を従わせる何かがありました。私は催眠術にかかっているかのように、ただ首を縦に振り続け、その様子を満足げに眺めるSさんを見て、なぜか心が安らぐの感じました。
実際、その後もこの「宴」は続きました。もちろん毎月というわけには行かず、高校二年生になるまでの期間に、数回ほど食事に招待されました。そしてその度にこの不思議な「宴」が繰り広げられました。何が起こるわけでもない、ただひたすらに不思議で密やかな三人だけの「宴」。
そして高校3年の夏。いよいよ私はこの二人の本当の関係性と、不思議な愛の形をはっきりと意識することになるのです。