陽と月との間で―明日をのぞむ―

私の物語と私の考えたことを私なりの言葉で紡ぎます。

第一章『出会い』 (その2)

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写真はイメージです


 Sさんのお宅に初めて招待された日はちょうど梅雨が明けた時期で、熱い日差しが一日中照りつけた後の夕方でした眺めながら玄関にたどり着き、アンティークな呼び鈴を何度か揺らすと奥から「ハーイ」という優しい声がし、しばらくするとゆりさんが玄関を開けて下さいました。 

 ティリリン・・・

 くぐもってはいますが、優雅な音が室内に響き渡っているようです。私が押した呼び鈴に反応した機械が、Sさんを呼び出しているに違いありません。豪邸にふさわしく、呼び鈴のボタンには、呼び鈴の機能のみが備わっているらしく、無遠慮なカメラが私を見据えることもありません。私は玄関が開くまでの間改めてSさんの庭を眺めました。

 青銅作りの立派な門をくぐると煉瓦が敷き詰められた小道のアプローチが続きます。その小道に沿うように花壇が設けられています。植えられている白い花はくちなしでしょうか。花に疎い私は国語便覧に載っている花を一生懸命に思い出そうとしましたが、途中で諦めました。よい香りが初夏の爽やかな夕方を優しく包んでいます。

 

 ガチャリ

 カギの外れる音とともに、重厚な木の扉がゆっくりと開きます。中からひょこっりと顔を出したのはSさん……ではなく、ゆりさんでした

 ゆりさんは膝が破れた細身のジーンズに、ブルーのTシャツというラフな出で立ちです。外で見かけるときは、もっと表向き、いわゆるお嬢様的な服装でした。例えばフレアのスカートに飾りのついたブラウスのような服装です。その姿を見慣れている分、カジュアルな装いのゆりさんはいつも以上に若く見えました。同時に私の緊張した心が少し落ち着いてきたようです。 

「こんな格好でごめんなさい!実は横溝君を招待するから、お家を掃除したり、買い物に行ったりしていたの。それに今、少し手の込んだ料理を作っているから、動きやすい服装がいいと思って。」 

 ゆりさんは私の疑問と驚きを先取りしたかのように、笑いながら弁解しました。 

「と…とても似合ってます…。それに…僕に近い格好だから…緊張しなくて済みますし…。」 

 私が口ごもりながらも慌てぎみに答えると、ゆりさはにっこりと微笑みました。

「あら、意外と社交辞令も使えるのね。デモ『似合う』と言ってくれてありがとう!」

 ゆりさんが玄関の扉を押さえる横を、私はいそいですり抜けて中に入ります。ゆりさんの横をすり抜けるとき、甘く切ない香りが漂いました。

「どうぞ!遠慮無くあがってちょうだい。」

「ありがとうございます。じゃあ…おじゃまします。」

「そのまま真っ直ぐ歩くと、右側に扉の開いている部屋があるから、そこで待っててちょうだい。私はキッチンに戻らなくちゃいけないから。ゆっくりしててね。」

 後ろでしゃがみながら私の靴を揃えてくれるゆりさんに気づき、靴を揃えず上がったことを悔やみながらぼーっと突っ立ったったままでいると

「はいっ!入った入った。あっ、この格好気になるんでしょ。もちろん準備が終わったらきちんと着替えるからね!それに……主人も用意しているだろうし……」

 と、聞いてもいないのに一方的にまくしたて、そのまま言葉を続けながらキッチンの方へと消えていきました。

 そのとき、〃それに……〃に続く言葉は、私に対して語ったというよりも自身に言いきかせるつぶやきに近いものでした。そのときはまだ、意味もまったくわかりませんでした。私は後にその言葉を思い出し全てを了解することになるのですが、それはもっとずっと後の事になります……。

 

 応接間とおぼしき部屋に入ると、そこには既にジュースとお菓子が用意されていました。キッチンやダイニングはまた別なところにあるらしく、ここはお客様を通す専用の部屋でとして用意されているようです。ときおり遠くのキッチンからゆりさんが気を遣って声を掛けてくれました。私はそのたびに 

「大丈夫です! ありがとうございます」

と答えながら、ぼんやりと待っていました。 

 十分程経った頃でしょうか。私はふいにトイレに行きたくなり、少し大きな声でトイレの位置を訪ねました。

 「ごめんね!今手が離せないの。トイレは廊下に出て、玄関と反対の方向に歩いて行くと左側にあるわ。扉にバラの絵が彫ってあるからすぐわかるわよ!」

 ゆりさんの遠くからの声のとおりに歩き、目的地を探した私は用を足して出てきました。ふと目を遣ると、さらに奥に続く廊下があり、その向こう側にも扉が見えました。そこは位置的に、私の家の二階から見下ろせる部屋です。いつもブラインドが閉まっているその部屋は、私にとっての「開かずの間」で、勉強に飽きたときふとその部屋の窓に目が向きました。 

〝ゆりさんが顔を出さないかな~〟

〝あの部屋は居間かな?まさかお風呂場じゃないよな!?〟 

 妄想の材料となる〃あの部屋〃であることを思い出した時、既に私の足はその部屋に向かっていました。今思い返しても、あの時の私の行動はおかしかったと思います。しかし、そのときはなぜか無性にあの部屋を覗いてみたい欲求に包まれていました。私は後ろを振り返り振り返り、ゆりさんの気配が傍にないことを確認すると、そっとドアに近づきました。そして、ゆっくりノブを回してみると、その扉は音もなく静かに開きます。次の瞬間、私はその部屋の中に体を滑りこませていました……。