陽と月との間で―明日をのぞむ―

私の物語と私の考えたことを私なりの言葉で紡ぎます。

第一章『出会い』 (その1)

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※画像はイメージです


※私個人の半生を出来るだけそのままに記しています。そのために一部にどうしても性的 な表現及び読むことが辛くなる部分が生じてしまうことを、先にお詫び申し上げます。もちろん扇情的な表現がメインではなく、あくまで物語として語る上で必要不可欠だと考えております。これからお読みになられる方は、その点をご了承下さい。

 呼び鈴の前に立つと、抑えていたつもりの鼓動が再びスピードを上げました。こころなしか指先が震えます。〝落ち着け!ただの食事会じゃないか!〟と念じる私の心とは裏腹に、その震えは少しずつ脚にまで伝染していくように感じられました。私は大きく息を吸い込むと、そのまま指に力を込めて私の到着をボタンに伝えました……。 

 

 

 読者のみなさん! 突然ごめんなさい。少し興奮して、いきなり物語に入ろうとしていました。改めて……時代と舞台のご説明、そして自己紹介をしたいと思います。そうすることで今、私が誰の家の前に立ち、何のために呼び鈴を鳴らそうとしているのか……おわかりになると思います。 

 物語の時間軸は80年代を迎えようとしている時期を想像して下さればよいでしょう。喧騒と倦怠、希望と不安、そして恍惚と覚醒とが相半ばするあの時代です。舞台は神奈川県の地方都市、いわゆる「〇〇ニュータウン」と名のつく新興住宅地です。 

 私の家は、一生懸命個性を出そうとしながらも結局小手先の変化で終わってしまった建売住宅群の奥に位置しており、そこから先は未開拓の調整地区が広がっていました。その空地の一角に、これまでの画一的な住宅群とは明らかに趣の異なる一軒が現れたのは、ちょうど今から半年ほど前です。大抵の人はその家を「豪邸」と呼ぶでしょうし、またその名にふさわしい大きさを備えていました。凝った造りでありながらも落ち着いた様子は、当時中学三年生になったばかりの私にもわかりました。

 しかし正直に申し上げますと、生活感の伝わらない無機質的な印象を受けたのもまた事実です。どこかのモデルハウスを見たときの、乾いた寂しい匂いが漂う……そんなイメージです。そこに一組のご夫婦が移り住んできました。これからお話しする物語は、この二人を中心に進んでゆきますので、ご紹介はそのときに譲ります。

 

 私?私のことですか?ああ、すっかり忘れていました。では改めて自己紹介を。名前はのぞむ。「横溝のぞむ」と申します。暗く大人しく、孤独を抱え込むタイプの少年を想像してもらえればOKです。身長だけは高いぶん、よけいに〝ひ弱さ〟が浮き立つイメージです。敢えて特長を探せば〝目〟でしょうか。大きな瞳と長い睫毛。そこだけはきっと女性に嫉妬されるかもしれません。

 成績はよいほうです。自分で言うのもなんですが努力型ですから。ただし学業に打ち込むのは複雑な家庭環境からの逃避でもありました。さあ、私の自己紹介はこれぐらいにして、冒頭の部分に至るまでの経緯をかいつまんで説明しましょう。

 

 例の豪邸に移り住んできたご夫婦がご挨拶に来たのは、春もそろそろ終わりをつげ、梅雨の匂いがアスファルトから微かに立ち昇る時期でした。来客を告げるチャイムの音に弾かれた私が玄関を開けると、手前に背筋がしっかりと伸びた〃若そうな〃男性、その奥に美しく〃本当に若い〃女性が立っていました。 

 「はじめまして、これからお隣さんになるSという者です。お父さんかお母さんはいらっしゃる?」 

 深みのある、芯の通った声が心地よく耳をくすぐります。まるで紺碧の海から響き渡り、浮ついた心を静かに整えてくれる優しい声。その声を耳が反芻するのを楽しみながらも、私はおどおどしながら答えました。 

 「ご、ごめんなさい。父も母も、今は誰もいません。どのようなご用件ですか?後で伝えておきますが……」 

 男性はきっと私の緊張を瞬時に悟ったのでしょう。一層深く優しい声で 

 「あ、いやいや、ご用件っていうほどのことでもないんだけどね、お隣さんになるんだから挨拶をしたいと思って。これ、ご家族でどうぞ」 

 すると、後ろで佇んでいた女性がするりと入れ替わり、柔らかな風呂敷包みから重そうな土産物を差し出してきました。その荷物を支える女性の腕や指先があまりに白く美しかったので、私の視線はお土産の品よりもそちらに釘付けになってしまいました。しかし女性は私のぶしつけ眼差しを気にする様子もありません。

「どうぞ!つまらないものですが……」 

 そこだけ光が差し込むような笑顔を向けながら,彼女は土産物を手渡してきました。正直なところ、この後の会話はほとんど覚えていません。ただ、中の良さそうな一組の夫婦と、そして美しい女性の艶やかな唇だけが映像としてぼんやり残っている程度です。

 この日以来、お隣のSさんご夫婦とは、庭先や道で出会った時などに会釈をする程度のお付き合いが始まりました。これからは男性を「Sさん」、そしてその奥様を「ゆりさん」と呼ぶことにします。

 

 私はその当時寂しく、暗く、辛い毎日を送っていました。心が押しつぶされそうな痛みと孤独の中でなんとか日々をつないでいた……そんな時期でした。(その理由はこれからの長い物語の中で徐々に明かしていくつもりですが、今はお待ち下さい)

 ある日のこと。学校からの帰り道にちょうどSさんがバスから降りて、帰り道を共にすることがありました。彼はいつも決まってこの時間に帰るらしく、それは私が急いで家に戻る時間と重なっていました。帰り道、少し緊張する私に彼は優しく楽しい話を振っては、私を笑わせ感心させてくれました。あんまり楽しい道のりだったので、別れ際には暗い家に帰るのが嫌で、思わずSさんの後姿を目で追ってしまうほどでした。

 それからは、私はなるべくSさんがバスで到着する時間に会わせてバス停の前を通り、偶然を装いながら一緒に帰ろうと試みました。月に1~2回は肩を並べて帰ることができる日があったと思います。その時にはまだ、私は自身の境遇を詳しく伝えることはありませんでした。今から考えると、Sさんは私から聞く情報を通してなんとなくではあっても私の身の上を理解してくれていた思います。しかしそれを表に出したり、これみよがしなアドバイスなど押しつけたりはしませんでした。ただずっと聞き役に回ってくれたこと。そのときの私も最も欲していたものを、Sさんは与えてくれました。それは私にとってとても貴重なものでした。

 

「のぞむ君、君をときどき夕食にご招待してもいいかな?」 

 何度か一緒に帰る道の途中、ふいにSさんは改まった口調でそう切り出しました。 私はまだ中学生で、気の利いた返事もできず、もごもごしていると、 

「ぼく達夫婦はいつも二人きりでご飯を食べるから、たまには誰かを招待して賑やかなディナーを味わいたいだけだよ。別にすごい料理を食べさせて上げるわけじゃないけれど、ぼく達のために来てくれるならありがたい」 

 いつもほとんど自炊をし、一人で食べていた私にとってその申し出はとても嬉しく、首をぶんぶん縦に振り、勢いよく頭を下げました。  

 本音を言えば、ゆりさんとお会いできる、そしてお話ができる、さらには彼女の作った手料理が食べられる。それが私の隠れた喜びでした。我が家に挨拶に来たあの日以来、ときどきゆりさんを見かけることがありました。いつも軽く会釈をし、ゆりさんも頬笑みながら手を振る程度の関係で、きちんと話をしたことはまだ無かったのですが、美しい姿にいつも見とれてしまう自分がいました。

 彼女は意外と背が高く、比較的長身だった私(中学3年生のときには、175㎝ぐらいありました)からみても、スラリとした容姿をしていました。どちらかと言えばスレンダーな体型に属していたと思いますが、それは彼女の着る服装がそう見せていたのかもしれません。このときの私は彼女のつややかな髪と、ビロードのように滑らかで白い肌に惹かれていました。

 ゆりさんの家に行ける・・・

 ゆりさんの家に入ることができる・・・

 そう考えただけでなんだかドキドキしてしまいます。Sさんには申し訳ないのですが、私はゆりさんと同じ空間に居られることの方に遥かにトキメキを感じるのでした。

 

 約束の日がとうとうやってきました…。ここで、ようやく物語の冒頭の部分に話が戻る事になります。そして……その日から私は男女の不思議な関係を少しずつ眺め、学ぶことになるのです。それが今の私を形成していること、私の人生の核となっていることだけを申し上げて、今日はひとまず筆をおくことにしましょう。