コミュニケーションにおける男女の違い
この前テレビを見ていたら、とあるバラエティーで面白い話をしていました。最新の脳科学が解き明かす、男女の“脳の違い”が引き起こす様々な言動についてです。うろ覚えではありますが、一例をご紹介すると……
☆女性のほうが、言葉を司る部分と感情を制御する部分の関係性が強い。
→・女性のほうが接客業に向いている。(感情を豊かに言葉にできるから)
・女性は問題が生じると“相談”によってストレスを緩和する。
(男性は黙って一人で考え込む傾向が強い。)
☆記憶力は女性のほうが良い。
→・記憶すべき対象を身近なイメージと結びつける働きがスムーズだから。
・女性は記念日などを感動や風景と共に覚えるが、男性は苦手。
☆服を選ぶのに時間がかかるのは女性。
→・女性は色、形を判断する脳の部分が男性よりも充実している。
・男性には似た色、形に見える物も、女性には異なって見えるため選択肢が増える。
・ちなみに男性は動くものに脳が反応しやすいらしく、スポーツ観戦、乗り物に興味を示すそう。
などなど、思わず“へぇ~”ボタンを押したくなる内容でした。もちろん女性でも男性っぽい人はいますし、逆もしかりですが、一般論としてはこのような傾向が出やすいのだ、とのことでした。
この番組では男女の脳がうまれつき異なるのか、それとも後天的学習によって一定の方向に矯正されていくのかについては論じていませんでした。もちろん性同一障害の方の場合や、同性愛の方などについても触れてはいません。 ですからこのバラエティーだけをもって決めつけることは危険ですが、当たっている部分もあるのかな?とは感じました。
特に私が興味を覚えたのは「女性が相談する」という話。女性はいろいろなことを相談します。彼氏の相談、夜の営みの相談、姑の相談、子供の相談……。成人した男性がこれらのことを友人と相談することなど、めったにないと思います。
「オレの彼女……するときに必ず○○なんだよ。」
などと他人に話す男性を見たことがありません。もちろんこんな例はあります。
“オレは昨日、彼女と一晩に3発もやったぜ! 彼女はよがり狂って『許して~』なんて言ってたぜ”(※下品な例えで申し訳ありません。)
しかし、この類の話は「自慢話」であって(そして、だいたいの場合は誇張された表現になっていますが)“相談”ではありませんね。
考えてみれば、男性はいつからか言葉を捨て去ってしまったかもしれません。
・不言実行
・沈黙は金、雄弁は銀
・男は背中で語るもの
・男は黙って○○○
・以心伝心 etc…
日本の社会は男性から言葉を奪ってきた社会であるようにさえ感じられます。だからコミュニケーションすることの本当の意味をわかっていないのかもしれません。
・自慢話や手柄話ばかりをする。
・昔話が止まらない。
・命令や指示をすることだけが会話だと思っている。
・知識をひけらかし、薀蓄を語りたがる。
私たち男性のコミュニケーションの、なんと一方的で貧相なことか!私はコミュニケーションとは同化と異化のコラボレーションだと思っています。
孤独な心が話し合いによって溶けていく。
重苦しい心が相談によって軽くなる。
寂しさが何気ない言葉のやり取りで薄まっていく。
コミュニケーション。それは他者と私との同化作用。
一方で
狭い視野が示唆に富む指摘で広がっていく。
硬い心が鋭い一言で壊されていく。
偏見が、豊かな言葉でしなやかな思考へと昇華する。
コミュニケーション。それは他者による私への異化作用。
言葉でつながり
言葉で和らぎ
言葉で安らぎ
言葉で奮い立つ。
言葉は人をつくり
つくられた人はまた言葉を紡ぐ。
言葉と人との限りない循環作用がこの世界をつくってきたと考えるとき、男性の言葉の喪失を、私たち男性自身が今一度省みる必要があると感じます。
何かにつけては集まって話し合う女性を
店先で何時間も立ち話をする女性たちを
若いころは“無駄なことをしているな”と軽蔑していました。しかし今は“私も少しは見習わなくちゃ!”と敬意をもって眺めています(笑)。確かに脳の違いもあるでしょう。けれどそれを口実にすべきではないな、と感じています。女性が男性を見上げて尊敬するように、言葉の面では、男性が女性を仰ぎ見て学ぶ……。
そんな世界が早く来るといいですね。