陽と月との間で―明日をのぞむ―

私の物語と私の考えたことを私なりの言葉で紡ぎます。

性欲は本能か?

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 この手の事件が報じられる度に〃お決まりのセリフ〃をのたまう上司がいます。本当は上司と名づけることにも憤りを覚えますが、この上司はいつもこう言うのです。

 

「性欲は本能だからねえ。いかんともしがたいんだよねえ。」

 

誰に聞かせたいセリフなのか。それとも自己弁護を兼ねているのか。さっぱりわかりませんが、この言葉を聞くと本当に〃イヤ~な〃気持ちに陥ります。

 

 性欲が他の本能、例えば食欲、睡眠欲、排泄欲などとは異なり、必ずしも純粋な本能とは言いがたいことは、当たり前のことではありますが改めて再確認したいと思います。少々重苦しいお話になりますが是非お付き合い下さい。

 

 上記で挙げた「食欲、睡眠欲、排泄欲」などはまさしく「欲求」です。「欲求」とは、本人の意思とは関わりなく、自身の生存を保証するために勝手に起こる現象です。例えば、あまりにお腹が空いていれば人の食べ物を盗んでも食べてしまいます。すごくおしっこをしたくなったら、例え人前でも漏らしてしまうでしょう。他人の有無、状況の如何に関わらず発動し、当人でもどうしようもないのが「欲求」です。

(たまに超絶的な意志の持ち主が、ハンガーストライキを試み、見事餓死するなどの事例はありますが、それは本当に例外的なことです)

 

 それ対して「性欲」は「欲求」というよりも「欲望」に近いでしょう。「欲望」には、他者の視線の介在が不可欠です。

 例えば、ブランドバッグが欲しいという欲望は、それを持つことで「ブランド品を持てるだけの財力がある証」、あるいは「ブランド品をセレクトできるセンスのある私」、またあるいは「ブランド品に対して鋭いアンテナを持つ時代に敏感な私」を他者に承認してもらいたいという「欲望」に他なりません。

 

 そして、性欲もその他者の視線をたまらなく欲する欲望であり、純粋な「欲求」とは根本的に一線を画すものだ、と私は考えています。

 男性が女性を求めるとき、その女性に対して快楽を与えられる逞しい存在、あるいは女性が体を預けさせる程の魅力を持った存在を、自身でも自覚をしたいという「欲望」が介在しているでしょう。それは時々(いや、かなり頻繁に)男性の勘違いとして現れる場合が多いのも悲しい事実です。

例1 体をムキムキに鍛えれば、女性がメロメロになると思っている。

例2 男根は大きければ大きいほど、女性が喜ぶと思っている。

例3 機関銃のような素早いピストン運動で女性はみんな快楽に溺れると思っている。

 一方で、女性の性欲もまた、SEXを通した「自己存在の確認」「誰よりも愛されているという確証」「守られる、包まれているという安心感」への「欲望」であり、肉体的な快楽は二の次と言ってもよい場面があるかもしれません。

 

 民族間で紛争が起こるとき「民族浄化」と称して、男性が敵部族の女性たちを次々に性的暴行するという悲しい事実があります。このときの男性は決して単純な「性欲」で動いてはいません。自身の部族の優越性を示し、敵部族の男性へ屈辱感を植え付けるための儀式なのです。そこには「怒り、支配」といったキーワードが存在しており、決して女性に対する単純な肉欲だけでは語れない闇を背負っているのです。

 

 繰り返しになりますが、性欲は決して単なる本能的欲求ではありません。感情的にも理性的にも、時には政治的にも起こりうる、立派な「文化的行動・文化的行為」なのです。

 

だからこそ私たち男性は、そこに節度やモラル、人としての尊厳を意識する必要があるのです。「性欲は本能だから仕方ない」という人は、本能という口実の元に自身の行動を正当化しようとしています。それは大変危険な発想です。

 例えばどんなに性欲が強まろうが、白昼の路上で女性を守る父親や兄弟、恋人たちの前でも強引に性行為に及ぶことは普通ありえません。性的な暴行はほとんど、暗闇からずるい方法で狙うものです 

 性の問題を「本能」で片付けるとき、人は自らの尊厳を放棄しているのと同じです。そして、男性にとってかけがえのない女性を貶める物言いに他なりません。

 

 このような事件を許さないことはもちろんですが、男性の行為を「本能」で片付ける言動にもまた厳しい目を向けていきたいと思うのです。

 

 ということで、この上司にもやんわりと釘を刺したところ、今日から仕事量が増えました。そして同時にその仕事を黙って手伝ってくれる仲間や後輩が現れました。ぼくは

 

 この小さなうねりを大きな波にしていきたいと密かに思っています。